人を呪わば穴二つとは?

謙虚思考

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■ 人を呪わば穴二つとは?

【人を呪わば穴二つ】他人をのろって殺そうとすると、結局自分も報いで殺されることになり、葬るべき穴は二つ必要なことになる、ということわざ。「嫁を呪わば穴一つ」といわざるを得ない旦那もいる。嫁を呪っても返り討ちにあって、結局自分の墓穴しかいらないという…ま、私のことなんですけど。

■ リンカーンさんの座右の銘

「人を呪わば穴二つ」で思い出すのは、リンカーンさんが大好きだった座右の銘です。
リンカーンさんと言ってもあのリンカーンさんではなく、エブラハム・リンカーンさんのことです。
え?大統領であるエブラハムさんの方しか知らない?奇遇ですね、僕もです。

【引用】「人を裁くな−人の裁きを受けるのがいやなら」
というのが、彼のこのんだ座右銘であった。
【出典】創元社『人を動かす』P21 著:デール・カーネギー 訳:山口博

まったくその通りだと思います。
裁くといえば、子どものことガンガン叱ったりするでしょ。たとえば塾で
「なんで宿題やってこないんだ!ふざけんな!」
こうやって怒っちゃうとします。すると自分に返ってくるんだ、僕は。
「まだできてないの?あの資料…かんべんしてくれよ」
先輩や上司に言われちゃう。
「嘘をつくんじゃない!!」なんて叱って自分はついたりしてね。
呪いではありませんが、「許せない!」なんて怒ると、どっかどっかで自分も同じようなことしていたりして自己嫌悪になっちゃう。

■ ほめられるの好き?

【引用】偉大な心理学者ハリス・セリエはこういう。
「われわれは他人からの賞賛を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる」。
【出典】創元社『人を動かす』P15 著:デール・カーネギー 訳:山口博

ほめられるのが好きな人ほど、その分怒られるのが嫌い。なるほど!僕なんかその典型。
「認められたい」から認められたと思える「賞賛」が大好きで、認められなかったと思える「怒り・叱り・批判」が苦手です。もう恐いレベル。
怒り・叱り・批判を極度に恐れる人は、とっても気をつけて生きていると思うのですね。
周りに気を遣って、心を配って、自分はこれはせんとこ、あれもせんとこ、あんなこともダメよね、の連続。
自分が気をつけているから、相手のことでも「許せない」が増えていきます。
気をつけてるから「許せない」、「許せない」から気をつける。気をつけまくる。許せず批判すればするほど、やっぱり自分のがんじがらめを強化しちゃう。
人を「許せない!」なら、自分も気をつけなくっちゃ!「俺は絶対会社の仕事を遅らせない。」「私は絶対嘘をつかない。」なんて締め付けていく。
悪くないんですけどね。なんでもかんでもユルユルよりも自分に厳しくする美学もありますので。
ただ限度があります。厳しいばっかりは苦しいですから。たいていのことは許して、人にやさしく自分にもやさしくが生きやすい。
「娘を殺されても怒らないんですか!?」
って、それは怒ります。限度があるから。
でも僕が普段怒っていることって小さいんですよね。大抵のことは我慢できるだろうな、と。
自分にやさしくするためにも批判はあまりしない方がいいのだろうし、やってもしょうがないことの方が多いみたいです。なぜかというと…

■ みんな自分が正しい

大抵、僕は自分が正しいと思ってしまっています。謙虚さが足りませんね。
何か話が違ったら「相手が正しい」とやれば、ほぼ万事丸くおさまるのですが、凡人な私はそうはいかない。
嫁「トイレで手を洗ったらタオルで手を拭く!これ当たり前!!取っ手がぬれるでしょ!!」
僕「…(取っ手がぬれるなんてどうでもええやん。乾くやろ。むしろ水洗いになって、ホコリとれてええんちゃうか)…ま、そうするわ」
常識的に自分が悪くても「例外」のように自分が正しいと思ってしまいます。そして正当化♪
文章にしてしまうと「むちゃくちゃな正当化やな」って思いますが、本当にこんなことを考えている私でございます。
で、相当な悪党はどうなのだろう…自分の悪さに気づいているのだろうか?というとそうじゃないらしい。
とんでもない犯罪を起こした人も「自分のことを正しい」と思っている。

【引用】「おれは働き盛りの大半を、世のため人のためにつくしてきた。ところが、どうだ−おれの得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ねものの烙印だけだ」
と、なげいたのは、かつて全米をふるえあがらせた暗黒街の王者アル・カポネである。
【出典】創元社『人を動かす』P13 著:デール・カーネギー 訳:山口博

アル・カポネさんにしてこれです。
批判してもしょうがない、というか意味がない気がしてきます。
小さい事を非難・批判したところで、相手にとっては、
「だってそうするしかなかったんやもん」
ということだったのかもしれない。表面的に悪さを認めさせても、気は晴れるかもしれませんが実益はありません。多くの場合は相手との関係が悪くなるだけ…。
それでも会社のために言わなければいけないこと、というのがあるのかもしれません。
そういうことは普段から言っているのがいいようです。
相手が間違ったときにだけ言うのではなく、普段から。
ま、これは斎藤一人さんのお話なんですけど。
相手も心穏やかなときは受け入れる余地があるかもしれませんものね。…耳が痛いなぁ…この話は。
話を戻し、まとめますと、大犯罪を犯しても「自分は悪くない」と人は思えるのだから、そこそこの小さいことで「自分は悪い」なんてなかなか思えないのでしょう。
ま、そこを本当の意味で「ごめん」といえる人がいる…それは奇跡なことかもしれませんが、それはまたの機会のお話。

■ 神様も裁くのを…

人が人を裁くというのは大変なことです。
法律というガイドラインがなかったらなせないことでしょうね。
それを普段、僕なんてものが人を批判するなんてことは恐れ多いのです。
人を裁けるといえば神様くらいなのかな。
死んだら閻魔大王様がいて、
「はい、あなたは四番目の地獄ね」
「いややぁ!四番目も何番目も地獄はいややぁ。」
神様やったらこのように裁けるのだろうと思います。
でも、その神様ですら裁くのは…

【引用】英国の偉大な文学者ドクター・ジョンソンの言によると−
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」。
まして、われわれが、それまで待てないはずはない。
【出典】創元社『人を動かす』P32 著:デール・カーネギー 訳:山口博

批判…やめよ。不平不満、文句、悪口…やめよ。
「人を呪わば穴二つ」
自分が痛い目にあうのイヤやもん。
長い文章、最後までありがとうございました。

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